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Ryumonji ニュースレター(2016年秋)

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非 思 量  Non-thinking   窮地に追い込まれ、身動きが取れなくなったとき、あなたはどうしますか?これは私の兄が最近経験したことです。腰の感染が体全体に広がったため、兄は約3か月入院しました。死と隣り合わせの状況だと担当医に言われ、患部を複数回手術しました。病院のベッドに寝ている期間中のほとんどの間、兄は全く動くことができませんでした。  入院中やリハビリの期間中、私たちはずっと話をしていました。兄はいつも行動的でしたが、今は病院のベッドから動くことはできず、フラストレーションと痛みがたまっていました。文字通り窮地に追い詰められ、全く動くことができなかったのです。刑務所に閉じ込められた犯罪者の気分だと兄は言っていました。しかし、最後には、この状況をあるがまま受け入れることができ、3か月後には退院し、感謝祭を自分の家で祝うことができました。  これは、自分が対処できると思われる以上のカードが人生から配られたという強烈な体験です。あなたの「好き」や「嫌い」を超えたことが起きることがあります。できることが他にないときは、あるがままの物事に対処するしかないのです。物事は見えるままということもあります。問題は、あなたが物事のあるがままの姿に気付き、あなたが立たされている窮地に向き合うことができるかです。   あるがままに向き合う というのは「非思量( N on-thinking : 考え以外の状態)」の一つの形です。物事がどうあるべきかというあなたの考えを超えたものです。「非思量」はぼやっとした鈍い意識ではありません。 あるがままの状況から立ち上がる ことです。この「非思量」はとても静かな状態です。  「非思量」は坐禅において最も重要な特徴です。曹洞宗を中国から日本へ伝えた道元禅師は普勧坐禅儀(万人へ向けた坐禅の勧め)の中で、この意識の状態を説明しています。普勧坐禅儀の原本は、13世紀に道元により創立された永平寺の資料館のガラスケースの中に展示されています。普勧坐禅儀は道元禅師が日本へ帰国して初めて著した書物で、毎夜、世界各地の僧堂で唱えられています。  「非思量」は坐禅修行における一つの技術ではありません。坐禅とはクッションの上に座り瞑想することだと、一般的に考えられています。しかし、本当はそれ以上の