2017年10月1日日曜日

花の絵葉書 写真展「四季の花」    10月28‐29日(土・日)

場所:芝浦港南区民センター(地図はこちら
日時:10月28日(土)、29日(日)
第29回芝浦港南ふれあいまつり



2017年2月28日火曜日

Ryumonji ニュースレター(2016年秋)


非 思 量  Non-thinking

 窮地に追い込まれ、身動きが取れなくなったとき、あなたはどうしますか?これは私の兄が最近経験したことです。腰の感染が体全体に広がったため、兄は約3か月入院しました。死と隣り合わせの状況だと担当医に言われ、患部を複数回手術しました。病院のベッドに寝ている期間中のほとんどの間、兄は全く動くことができませんでした。

 入院中やリハビリの期間中、私たちはずっと話をしていました。兄はいつも行動的でしたが、今は病院のベッドから動くことはできず、フラストレーションと痛みがたまっていました。文字通り窮地に追い詰められ、全く動くことができなかったのです。刑務所に閉じ込められた犯罪者の気分だと兄は言っていました。しかし、最後には、この状況をあるがまま受け入れることができ、3か月後には退院し、感謝祭を自分の家で祝うことができました。

 これは、自分が対処できると思われる以上のカードが人生から配られたという強烈な体験です。あなたの「好き」や「嫌い」を超えたことが起きることがあります。できることが他にないときは、あるがままの物事に対処するしかないのです。物事は見えるままということもあります。問題は、あなたが物事のあるがままの姿に気付き、あなたが立たされている窮地に向き合うことができるかです。

 あるがままに向き合うというのは「非思量(Non-thinking:考え以外の状態)」の一つの形です。物事がどうあるべきかというあなたの考えを超えたものです。「非思量」はぼやっとした鈍い意識ではありません。あるがままの状況から立ち上がることです。この「非思量」はとても静かな状態です。

 「非思量」は坐禅において最も重要な特徴です。曹洞宗を中国から日本へ伝えた道元禅師は普勧坐禅儀(万人へ向けた坐禅の勧め)の中で、この意識の状態を説明しています。普勧坐禅儀の原本は、13世紀に道元により創立された永平寺の資料館のガラスケースの中に展示されています。普勧坐禅儀は道元禅師が日本へ帰国して初めて著した書物で、毎夜、世界各地の僧堂で唱えられています。

 「非思量」は坐禅修行における一つの技術ではありません。坐禅とはクッションの上に座り瞑想することだと、一般的に考えられています。しかし、本当はそれ以上のもので、人の生き方なのです! 「坐禅は日常の問題だ」と道元は言います。私たちが受け入れられるかどうかを超え、日々の生活にそのまま取り組むことです。世界は独自のペースで回ります。あるがままを受け入れるのは簡単でないときもあります。兄の場合、3か月間病院のベッドに寝ているのは本当に大変でした。この日常への取り組みを仏祖は24時間坐禅と呼んでいます。

 私の場合、日本からミネアポリスまでの12時間の飛行中に、この記事を書きました。12時間の飛行時間は12時間の飛行時間です。この12時間に向き合うしかありません。自分が対処できると思う以上のことが起きることもあります。私に必要だったのは、心を静め、その状況と一体となることでした。これが、窮地に立たされ身動きが全く取れない状況から立ち上がるということです。

合掌
龍門寺住職 彰顕ワインコフ